「海南行」補足説明です

「海南行」補足説明です

「海南行」は、地蔵院を建立された細川頼之公が、この場所で詠まれたものです。頼之公は、皇室が二つに割れた状態(南北朝)を一日も早く合一し、戦を終わらせて平和な世とするために日々奔走されていましたが、他の大名衆は、己の権力欲で人の足を引っ張る事ばかりだと、欲にまみれた大名たちを蒼蠅と罵り、自分は、もうこのような政界を去り、禅寺で清風に吹かれて横になっていよう。と詠まれています。頼之公は讃岐に下って隠棲されましたが、後に都に戻られ、南朝側の穏健派・楠木正儀公と共に、南北朝合一に向けて奔走され、頼之公が亡くなられた直後についに合一を果たしたのです。後小松天皇(一休禅師の御父上に当たられます)が合一後初の天皇となられました。(写真左から守浩前住職・細川護熙様・正浩住職)

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